女社長愛沢えみりの半生。泣きながら頑張って成功した。

愛沢えみりが出版した書籍

テレビやYouTube、雑誌など数々のメディアで注目の愛沢えみり。

愛沢えみりについて最近知った方も多いと思います!

昔からのファンの方も、最近知って興味をもった方にもこの記事を読んでもらえれば愛沢えみりの半生について詳しく分かると思うので、ぜひ最後までご覧ください♪

目次

好きなお花

歌舞伎町No.1嬢王 愛沢えみりとしての生き方。

自信がなくて努力もせず

輝いている人に憧れているだけだった…

ある日お客さまから『青い薔薇』を一本もらったのだという。

青い薔薇の花言葉は奇跡

青い薔薇は元々の薔薇にはない色で、ずっと作れなかったみたいです。

何十年も研究して、やっと作れるようになったのが青い薔薇。

元々の青い薔薇の花言葉は『不可能』だったのが、作れるようになって『奇跡』に変わったそうです!

このエピソードを知り、愛沢えみりは青い薔薇が大好きになったそうです♪

やる気も夢もない学生時代

夢?ないよ。頑張るなんて大嫌い。

仕事?しないよ、したくないし。

そもそも朝起きれないから。一生懸命なんてありえない。

愛沢えみり 学生時代

幼少期は広島に引っ越しとなり、友達がいなかったため、ぴーちゃんっていう小鳥を飼ってもらって、その鳥に毎日毎日話しかけていたそうです。

そしたら、その鳥が話せるようになったんです!

何が言いたいかというと、それくらい友達がいなくて毎日小鳥に話かけていたっていう幼少時代笑

月日は経って、学生時代——

勉強もせず、高校も自分の通う高校の制服が可愛いってだけで選びました。

学生時代のエピソードは、横浜の駅前でビラ配りのバイトをしていた時に、知らない人から三日で5万円のバイトがあるからやらないか?と声をかけられたそうです。

そこで働いたのがキャバクラとの出会いだったそうです。

また、高校を卒業するときに単位が足りなくて、先生に言われたのが『動物園に行って動物の絵を描いてきなさい。そうしたら単位をあげる』そう言われたけど、愛沢えみりは動物園にも行かずに適当に絵を描いて提出するほどの腐った人間だったと言います笑

高校の卒業式も張り切って事前にみんなで可愛いくして、写真撮ろうねって約束をしていたにもかかわらず、当日は寝坊してしまい、卒業証書をひとり教室でもらったらしいです…笑

超問題児の学生時代でした。

ダメキャバ嬢からNo.1へ

キャバ嬢へ東京編!

これは有名なエピソードですが、お父さんのバッグ一つ持って東京へいきました。

その当時は彼氏がいたので、そのまま仕事も特にがんばらず、いずれ結婚するだろうと言う甘い考えで東京に行ったそうです。しかし、20歳の時に彼氏と別れてしまいます。

その時に、自分に何もないことに気づいてしまいます。

ずっと適当に生きてきたけど、流石にやばいかもしれないと思ったそう。

家がない!収入がない!お金がない!

やばいなってところで、歌舞伎町に行きます。

なぜ歌舞伎町に行ったかというと、高校2年生の時にすごい大好きな彼氏ができるんですけど、1ヶ月でフラれてしまいます。そのフラれた理由が歌舞伎町でホストになるから。

高3になって出来た彼氏も『歌舞伎町でホストになる』という理由でフラれたらしいです笑

そんなわけで、愛沢えみりの中では勝負の街=歌舞伎町のイメージがあったそうです!

そして、歌舞伎町へいきます!

当時、PROUDIAというお店ですごく頑張ったと言います。

そこで人生初めてNo.1というのを経験します。

PROUDIAは順位が貼り出されるお店で、順位1位のところに愛沢えみりって書いてあって

一人で嬉しくて、順位表の前でじーっと見つめていたのを覚えています笑

そこからもっと頑張りたいと言う想いが強くなり、PROUDIAよりもレベルが高いキャバクラGentleman`z Clubへ行きます。

そこからが大変でした。

あの女の分まで売り上げをあげるから

辞めさせて

愛沢えみり Gentleman’z club編

当時、愛沢えみりは周りのキャバ嬢から嫌われていたと言います。

愛沢えみりがトイレに入っているときに、女の子二人が入ってきて、どうやら愛沢えみりの悪口を言っているようでした。さらに、自分が言ってもいないことを大袈裟に言われた。

それで店長に相談します。自分が言ってない話まで盛られて伝えられ、一緒に仕事は出来ません。あの子の分まで私が売り上げをあげるから辞めさせてほしい。

その女の子は店長が伝える前に察して辞めて行ったそうです。

当時を振り返ると、不器用な生き方だったと言います。

そこからは1日4回の同伴をしたり、とにかく多くの組数を来てもらうために毎日がんばり続けます。

それでも死んでもNo.1が良かった。

涙が止まらないと言うエピソードがあって、歌舞伎町のマッサージ屋さん気楽堂でマッサージを受けている時に、えみりちゃん今日元気ないじゃんと声をかけられたそうです。

その瞬間、自分でも驚くくらい涙が滝のように出たそうです。

全てがストレス、自分が自分をがんばらないといけない状況に追い込んで、ヘルタースケルターだったといいます。それでも店には行き続けました。

伝説のバースデー

そんなこんなでコツコツ毎日頑張ってきた成果があって、Gentleman’z ClubでもついにNo.1になれたんですよ。

正確にはGentleman’z Clubにはランキングはなかったけど、キャバキャバとうキャバ嬢のサイトがあって、ホームページの一番上に愛沢えみりが載っていたそうです。

そのくらいのタイミングで小悪魔agehaからオファーをいただいたそうです。

ここから人生の転期がはじまったといいます。

当時はキャバ嬢は雑誌を嫌悪している雰囲気があったんですけど、23歳のバースデーイベントを特集するから出ないか?という理由で、それだったら嬉しいなと思いオファーを受けたそうです。

小悪魔agehaデビューがきっかけで知名度が一気に伸びたといいます。

小悪魔agehaで嬢王という冠をつけてもらい、すごく嬉しかった反面、さらに波乱万丈な日々になったそうです。

嬢王の冠をもらったからには嬢王であり続けなきゃいけないというプレッシャーが愛沢えみりに襲いかかります。

今までは一番になるために突き進んできたけど、一番という圧倒的なものを維持していくとなったときに、本当の意味での大変さを知ったそうです。

今でこそSNSがあるから割とお客さまに来てもらいやすくなったけど、当時はSNSがなく、フリーについたお客さまに一生懸命営業をして来てもらうようになる地道な時代でした。

だから、雑誌の撮影が忙しくなればなるほど、お店にいく時間が少なくなって、お店をメインで頑張らないとお客さまは来ない。どれだけお店に長くいて、どれだけフリーのお客さまについて、どれだけお客さまと向き合えるかが売上に繋がるので、すごく大変だった。

同伴する時間もないのにどうやって売上をあげようかという悩みで、今までに経験したこともないほどのストレスだったと愛沢えみりは言います。

頭のてっぺんに500円玉ハゲができるほどでしたと愛沢えみりは笑いながら話します笑

そんな中で24歳のバースデーイベントの時期がきます。

嬢王の冠をつけた愛沢えみり初めてのバースデーイベントとなり、世間からの注目度は高かったです。物凄いプレッシャーを感じながらも、嬢王は今まで誰もみた事もない・やったことのないバースデーイベントをテーマにすると決めたそうです。

組数No.1 売上No.1 シャンパンタワーもドーン!としたやつで、内装も煌びやかにしたかったと言います。

元々ダメ人間だった愛沢えみりがすごく葛藤します。

嬢王として強がらないといけない愛沢えみりと本当は孤独で弱い愛沢えみり

いつどこで見られているか分からないから、泣ける場所がなくなってしまい、唯一泣ける場所がタクシーの中でした。仕事帰りのタクシーの中が一番泣きやすかったです。でも、もう号泣する体力はなくて、涙が頬をつたうような涙になったと言います。

自分との戦いで行った24歳のバースデーは見事に大成功しました。

この時の心境を愛沢えみりはこう綴ります。

自信とは人から貰うものではない。

自ら飛び込んでどんなに大変な思いをしても

負けずに取ってくるもの。

24歳のバースデーイベントを大成功させた愛沢えみり

キャバ嬢社長

24歳のバースデーイベント後にEmiria Wizを立ち上げます。

愛沢えみりはキャバ嬢を辞めて他の仕事をした方がいいんじゃないかという話を周りからいっぱいされます。だけど、自分はキャバ嬢が原点であって、愛沢えみりがあっての自分だから、私はキャバ嬢を大切にしようと決意します。

キャバ嬢愛沢えみりを大切にしながら、新しいことにチャレンジしていこうと腹をくくりました。

アパレルブランドを立ち上げても、キャバ嬢で努力するという力は身に付いていたので、目標だった月商1億5千万円を達成します♪

最初はダメ人間だったけど、努力すれば人は報われるということを教えてくれた愛沢えみりは本当に素敵でカッコいい女性です!


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